P - Please D - Don’t C- Change A - Anything

いつでも今日が、いちばん辛い日。

Facebookはワタミだ

さっき書いたブログが消えた。

command+2で消えた。

特定されかねない真面目系ブログを一時間くらいかけて書いていたら、消えた。あろうことか、commad+2で憎きfacebookのページに遷移してしまった。

普段、FBで更新頻度が高い意識高い系馬鹿や誰も興味が無いテメェの近況報告系の投稿に対して全力でディスをかまして自己肯定を図ってきた俺としては、忸怩たる想いである。

 

FBの更新頻度が高い人間は承認欲求の塊なのだ。「元気な男の子が生まれました!」「【近況報告】結婚しました!」「昨日は誕生日でした!」に代表される投稿の数々…。俺はこの満たそうとしてもいつまでも満たされない承認欲求を得ようと必死にFBに投稿せざるを得ない現象を「薄っぺらな幸せの確認作業」と呼びたい。俺の友達はFBを現代の馬鹿発見器と揶揄していたが、強ち間違いではないと思ってる。

 

この手の投稿がイライラする理由を突き詰めて考えると、一つのシンプルな結論に至った。自分の幸せを他人にひけらかし、肯定的な反応で悦に浸るその厚かましさにある。

記名制だからこそ、肯定的な反応しかできない。そこに付け入るのである。否定的な反応がなかなかできないのだ。 

これは働きたくても働けない層にリーチして悪条件下で働かせ、幸せがうんちゃらとかいって無理をも肯定させるワタミと何も変わらない。どれだけ悪条件でも労働者側は否定的な意見を発することは憚られる。だって他に行くとこないし。暴論だが、Facebookワタミだ。

 

適当に下記の通り記名制と匿名性のあるネットワーク上でコミュニケーションが取れるサービスを4象限に分けてみた。マジ適当に。プロットが合ってるかは知らん。

 

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記名制で否定的な態度でコミュニケーションが取れるサービスは無いと思われるので、起業を考えている意識高い系で夢見がちな方々、ここ多分白地だよ、ニーズの有無は度外視して。

 

「建前ではなく本音で語り合える関係性へ!」とかそれらしいビジョン掲げて、「いいね!」を「死ね!」に、コメント欄を罵詈雑言で賑わせるようなネットワークサービスを誰かが作ってくださることを祈念しております。